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2006年10月 2日 (月)

神在月

P1010629

恒例の神在月シンポジューム、

今年のシンポジュームは、神在月そのものについてのものになりそうです.

確かにその由来など、わからないところが沢山あります.

まあ、むかしのことは、よく分からず、

想像するところが ロマン ともいえますが......

神が1年に一度、会議(飲み会ともいう)をひらくために集う

どういうことでしょう?

今の言葉で言えば、サミットか?

どうも、出雲大社の主である大国主の尊が、国を譲った時

国を譲る代わりに、黄泉の国を支配することになり

それで、日本全国の神様が集まるという事になったらしい

日本全国に、出雲という神社 もしくは 地名が残っているはずです.

神無月 その言葉が現代まで残っている事が、すごい

と、出雲人としては 誇り 的なものを感じます.

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コメント

維真尽さん、こんばんは。
神話には、すごく興味があります。特に国譲りに関するあたりは、面白いですね。 うちの隣町の佐原市(合併して香取市)は、八坂神社と諏訪神社のお祭りがさかんなんですが、八坂神社が素戔嗚尊(すさのおのみこと)、諏訪神社が建御名方命(たてみなかたのみこと)をまつっています。それで、近くに香取神宮と鹿島神宮があるのですが、香取神宮が経津主大神(ふつぬしのおおかみ)、鹿島神宮が、甕槌大神(たけみかづちのかみ)なんですね。 この辺の人間関係(神様関係?)がとっても気になっちゃたりしてます。 ほんとおもしろいです。

投稿: ひら | 2006年10月 2日 (月) 21時49分

ひらさん
なんか話が合いそうですね!
諏訪地方にもいろいろ神話が残っていると思います.
素戔嗚尊といえば、出雲地方に残る「やまたのおろち」のヒーローです
須佐神社ってのがあって、そこに祭られてます.
また、諏訪地方のこと教えて下さい!
御柱の祭りがあるのも、諏訪ですよね?

投稿: 維真尽 | 2006年10月 2日 (月) 22時40分

若かった頃、仕事に行き詰まり、何故か宍道湖に行きました。小泉八雲の影響のようでした。

勿論そんなことで行き詰まりが解消されるわけも無くただただ宍道湖を見ていたように思います。

出雲には何処か神秘的なものを感じます。

投稿: lazy_yoshi | 2006年10月 3日 (火) 08時00分

維真尽さん、こんにちは。

神無月って言いますよ。
静岡市では 西宮神社でおいべっさん祭(恵比寿講)があります。
母が おいべっさんは(恵比寿様)足が悪いので出雲まで行けない
から10月寂しいからご馳走してお祝いしてあげるんだって、
その代わり商売繁盛を祈願するって
…でっ11月に他の神様が帰ってきた時聞くんだって
「おいべっさん何かご馳走は出たか」って 
おいべっさんは「いや何も出ないよ」って知らん顔しているんだ
と、聞かされましたよ…今でも言ってる(⌒-⌒;)

投稿: ほっこ | 2006年10月 3日 (火) 14時03分

神在月シンポジューム 
近くなら是非参加したいところです。
出雲は神話の国
ロマンを全国にPRしてくださいね♪

投稿: ハッチ | 2006年10月 3日 (火) 20時21分

lazy_yoshi さん
年代がいっしょくらいですね。
いろいろありますよね。まあ、あって当然でしょうか。
なにか、出雲と何か関わり合いがあるのですか?
松江の町の、たたずまい、雰囲気がとても好きです.

投稿: 維真尽 | 2006年10月 3日 (火) 22時38分

ほっこさん、ばんじまして(こんばんわ)
おいべっさんの話、初めて聞きました。
いろいろ、神様にも都合があることがよくわかりました?

お母上にもよろしくお伝えください.

投稿: 維真尽 | 2006年10月 3日 (火) 22時44分

ハッチさん
神在月シンポジューム 残念ながら、地元で開催です

東京でのシンポ 楽しんでください!

投稿: 維真尽 | 2006年10月 3日 (火) 22時47分

神在月シンポジュームで基調講演をされる
新谷尚紀先生、藤沢の遊行寺で開催される
遊行文化講演会(10月28日)でも
テーマ「日本の神々」で講演されます。
出雲のお話もされるかも知れませんね。
絶対に聴いてこよう!楽しみしてま~す。

投稿: ハッチ | 2006年10月 4日 (水) 20時47分

ハッチさん
興味ある話が聞けそうですね.
また教えて下さい!
新谷教授のお話は、聞いたことがあるかもれません。
21日が楽しみデス.

投稿: 維真尽 | 2006年10月 4日 (水) 21時58分

夢を壊すようで申し訳ありませんが、奈良時代に作成された神話には2大史実の隠ぺい という大きな目的が隠されているという事です。

1、奈良時代から見て900年以上前には既に円熟期に入っていた日本で最初の国家 出雲王国の存在そのもの。
(当時は8代目出雲王 八千矛王と八重波津身王 の時代 紀元前220年前後)

平和的民族インド ドラビダ出雲族の長 大祖先クナトノ大神が数千人規模の移住集団を従えて、北方ルートで住人の少なかった日本列島に到着。それから約千年の時を経て、クナトノ大神の子孫によって出雲王国の建国という流れになった。出雲王はクナトノ大神の子孫。

母系家族制(女主、父より母が偉かった、権限があった。) 、幸の神・サイノカミ信仰(子宝信仰) 、春に1歳 秋に1歳と年齢をカウントする、1年で2歳年を取る暦システムだった。


など、
これら丸ごとなかった事にするのが目的その1。


2、8代目出雲王の時代 紀元前220年頃に、秦国から大船団と共にやって来た 秦国人渡来大集団とその頭 徐福(後の奈良時代にスサノオと仮名表現された人物) に関する史実。

徐福は道教の法師で、道教の布教が目的で渡来し、さらにこの日本列島で王になるべく画策していた。(秦国の始皇帝をうまくダマし国外脱出を実現した。)

徐福は1回目の渡来時に和風名ホアカリを名乗り、出雲王国の八千矛王(西出雲王家)の娘 高照姫様と結婚。

長男 五十猛・イソタケ 後の香語山が生まれる。 が、出雲王国のシステム上この国の王になれないと悟り、一緒に渡来してきた子分のホヒ(出雲大社宮司家先祖)に策を練るよう指示。

ホヒと息子タケヒナドリ(いなせはぎ)が秦国から連れて来た大勢の海童と呼ばれる少年の一部を使い、8代目の出雲王の2人を拉致監禁して殺害した。(出雲王国は東西王家による2王制だったので、八千矛王・主王の他に、八重波津身王・副王もいた。主王の事を官職名でオオナモチと呼び、副王の事をすくなひこな・・ではなくスクナヒコと呼んでいた。)

このような、主副両王をほぼ同時に闇に葬るという前代未聞の大事件を引き起こした徐福は逃亡、一旦秦国の始皇帝の元へ帰国した。その後再度始皇帝をうまくダマし国外逃亡、今度は九州に上陸。和風名ニギハヤヒを名乗った。

このように紀元前210年代に、良くも悪くも前後2回に渡って5千人規模という、当時としてはものすごい数の秦国人が大規模移住して来たのに、上記のような秦国人徐福(奈良時代に設定された仮名スサノオの事) 関連の事はなかった事にされています。


秦国人徐福と渡来大集団についての史実を丸ごと隠ぺい。これが神話作成の目的その2。

尚、徐福に多くの異名が存在するのは秦の始皇帝の追っ手から逃れる為だとも言われているようです。(巧妙に莫大な金品と人材を引き出させた為)

これらは、出雲王国の王家の伝える史実を記した著書から得たものです。

東西2王家の内伝承の役目は、東出雲の富王家が専ら受け持つと話し合いで取り決めたそうです。

東西2王家の元は初代 菅八耳王でその出雲王 菅八耳は、あの大祖先クナトノ大神の子孫です。
元は一緒、昔も今も大変仲が良いというのも納得ですね。
(初代王と妻 稲田姫様との間には2人の王子が生れていた事から、直轄地を東西に分けて与えたというのが東西王家の始まりだとの事です。)
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(メモコメント:神魂神社~ただの穴です 、古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6 散歩 コメントをもっと見る 、出雲大社創建は8世紀頃??? 、亀太夫神事 思いつくまま 、あめにじ 出雲大社御本殿特別拝観天井八雲之図)


(大元出版の著書)
幸の神と竜 、サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ 、出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、親魏和王の都 、古事記の編集室 、お伽話とモデル 、山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり) 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。

投稿: アマゾン大元出版ファン | 2020年6月 6日 (土) 18時24分

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