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2006年10月21日 (土)

出雲、神在月 のなぞ

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神在月古代文化シンポジュームが出雲大社の近くでありました。

神在月の謎に迫るという事で、期待していきました。

結局、謎が深まるばかりでしたが......

知る人ぞ知る 新谷先生 の基調講演

余談のみ 紹介 (えへへ......)

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秋篠宮さんに講義されたらしいけど

その中で、牛車の講義もしたらしいけど

宮さんは実は、最近私も牛車の研究をしてると

おっしゃったとか!(まずいですね)

まあそれはいいけど、新しい事実がわかりました

天皇、皇后 は 今まで、歴代 牛車には乗られないらしい。

なぜだと思いますか?

その理由は、やんごとなき 人々には、危険 

結構 暴走するらしいのです.

次にパネルデスカッション

ほっこさん、えびすさんがでてきました!

やはりほっこさんが言われるように

留守番の神様 だった。

安政の大地震が起こった時、神無月だったらしく

なまず?と留守番 の責任が問われたらしい.

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そして、集まった 神々 は なにを話し合われるのか?

いろんな事もだけど、全国の 男女の 縁結びも きめるらしい

江戸時代の浮世絵で書かれたものが紹介された

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まず、竜神の到着

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そして、木札に カップルを、登録

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そして、審査 。あまりにも多い 量で、あの登録帖の 分厚い事

中央が、大国主 隣は 天照 だそうです。

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縁結び完了!?

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コメント

声出して笑わせてもらいました。

おいべっさん大変だったねェ~監督不行届って?
なまずが勝手に動いたんでしょ?
なまずだって寝返りでも打たなきゃ
寝ダコ(褥瘡)できちゃうよね。

こりゃあご馳走もらって宴会していたって言えないよね。

投稿: ほっこ | 2006年10月21日 (土) 22時37分

そうなんですョ

まさか ここで、 静岡と話がつながるとは

まったくの想定外でした。

嬉しいやら、恥ずかしいやら(なんではずかしい?)

投稿: 維真尽 | 2006年10月22日 (日) 16時31分

新谷先生の講演、今週末、遊行寺(藤沢市)に
聴きにいきます。テーマは「日本の神々」
きっと、謎が深まるのでしょうね...ではまた。


投稿: ハッチ | 2006年10月22日 (日) 19時17分

ハッチさん

新谷先生、頭の良いひとですね。
いろいろ、はっとする事を、おっしゃいました.

政治、経済 は 数だけど
文化は、数じゃない

投稿: 維真尽 | 2006年10月22日 (日) 21時26分

政治、経済 は 数だけど
文化は、数じゃない
新谷先生 さすがですね!

数に振り回されないで
悠々と生きる鍵が
見つかりそうですね!

投稿: ハッチ | 2006年10月23日 (月) 20時26分

ハッチさん

また新谷先生の講義内容
ブログで 紹介してください。

投稿: 維真尽 | 2006年10月23日 (月) 21時53分

夢を壊すようで申し訳ありませんが、奈良時代に作成された神話には2大史実の隠ぺい という大きな目的が隠されているという事です。

1、奈良時代から見て900年以上前には既に円熟期に入っていた日本で最初の国家 出雲王国の存在そのもの。
(当時は8代目出雲王 八千矛王と八重波津身王 の時代 紀元前220年前後)

平和的民族インド ドラビダ出雲族の長 大祖先クナトノ大神が数千人規模の移住集団を従えて、北方ルートで住人の少なかった日本列島に到着。それから約千年の時を経て、クナトノ大神の子孫によって出雲王国の建国という流れになった。出雲王はクナトノ大神の子孫。

母系家族制(女主、父より母が偉かった、権限があった。) 、幸の神・サイノカミ信仰(子宝信仰) 、春に1歳 秋に1歳と年齢をカウントする、1年で2歳年を取る暦システムだった。


など、
これら丸ごとなかった事にするのが目的その1。


2、8代目出雲王の時代 紀元前220年頃に、秦国から大船団と共にやって来た 秦国人渡来大集団とその頭 徐福(後の奈良時代にスサノオと仮名表現された人物) に関する史実。

徐福は道教の法師で、道教の布教が目的で渡来し、さらにこの日本列島で王になるべく画策していた。(秦国の始皇帝をうまくダマし国外脱出を実現した。)

徐福は1回目の渡来時に和風名ホアカリを名乗り、出雲王国の八千矛王(西出雲王家)の娘 高照姫様と結婚。

長男 五十猛・イソタケ 後の香語山が生まれる。 が、出雲王国のシステム上この国の王になれないと悟り、一緒に渡来してきた子分のホヒ(出雲大社宮司家先祖)に策を練るよう指示。

ホヒと息子タケヒナドリ(いなせはぎ)が秦国から連れて来た大勢の海童と呼ばれる少年の一部を使い、8代目の出雲王の2人を拉致監禁して殺害した。(出雲王国は東西王家による2王制だったので、八千矛王・主王の他に、八重波津身王・副王もいた。主王の事を官職名でオオナモチと呼び、副王の事をすくなひこな・・ではなくスクナヒコと呼んでいた。)

このような、主副両王をほぼ同時に闇に葬るという前代未聞の大事件を引き起こした徐福は逃亡、一旦秦国の始皇帝の元へ帰国した。その後再度始皇帝をうまくダマし国外逃亡、今度は九州に上陸。和風名ニギハヤヒを名乗った。

このように紀元前210年代に、良くも悪くも前後2回に渡って5千人規模という、当時としてはものすごい数の秦国人が大規模移住して来たのに、上記のような秦国人徐福(奈良時代に設定された仮名スサノオの事) 関連の事はなかった事にされています。


秦国人徐福と渡来大集団についての史実を丸ごと隠ぺい。これが神話作成の目的その2。

尚、徐福に多くの異名が存在するのは秦の始皇帝の追っ手から逃れる為だとも言われているようです。(巧妙に莫大な金品と人材を引き出させた為)

これらは、出雲王国の王家の伝える史実を記した著書から得たものです。

東西2王家の内伝承の役目は、東出雲の富王家が専ら受け持つと話し合いで取り決めたそうです。

東西2王家の元は初代 菅八耳王でその出雲王 菅八耳は、あの大祖先クナトノ大神の子孫です。
元は一緒、昔も今も大変仲が良いというのも納得ですね。
(初代王と妻 稲田姫様との間には2人の王子が生れていた事から、直轄地を東西に分けて与えたというのが東西王家の始まりだとの事です。)
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(メモコメント:神魂神社~ただの穴です 、古代出雲いんちゅうホイホイ秘密6 散歩 コメントをもっと見る 、出雲大社創建は8世紀頃??? 、亀太夫神事 思いつくまま 、あめにじ 出雲大社御本殿特別拝観天井八雲之図)


(大元出版の著書)
幸の神と竜 、サルタ彦大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、◎◎出雲王国とヤマト政権◎◎ 、出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、親魏和王の都 、古事記の編集室 、お伽話とモデル 、山陰の名所旧跡(※出雲王国側の情報あり) 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。

投稿: アマゾン大元出版ファン | 2020年6月 6日 (土) 18時25分

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