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2011年1月19日 (水)

亀太夫神事 

  

   

むかし~むかし~

出雲や大和、筑紫などの勢力が競い合っておりました 

そのころの出雲というのは

各地に出雲系の神社が残っていることでもわかるように

日本全国にネットワークをめぐらした大きな勢力であった 

  

   

P1020475   

 

そして そのあと かの有名な国譲り 

これまた~謎なんですが 

とりあえず 国譲りがされたとしましょう 

そして 大和朝廷すなわち天孫族の支配下に 

当然大きな怨念~無念というべきか~が残ったでしょう 

  

反乱を恐れた当時の天孫族による

巧妙な~反乱を抑えるための仕組み 

出雲大社も そのひとつでしょう 

そして 

八雲にある熊野大社の亀太夫神事 !? 

  

亀太夫というのは、熊野大社の下級神官です。

毎年10月15日に、新嘗祭に使用する臼と杵を、

出雲大社の宮司が熊野大社に借りに行きます。

そのとき出雲大社の宮司は、

新米で作った餅を持参して熊野大社に渡そうとしますが、

亀太夫という下級神官が応対に出て、

その餅に難癖をつけます。餅が小さい、形が悪いなど

さんざん悪態をつきます。

挙げ句の果てに

「出雲の人たちのおかげで生きていることを忘れるな」

とまで言われます。

これを出雲大社の宮司は、

黙って頭を下げたまま拝聴しなければなりません。 

  

どう思います?!  (^_-)~☆

  

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コメント

天孫族の支配下に入った後も、出雲族が大きな脅威で有り続けたということなのでしょうね。

投稿: 桃源児 | 2011年1月19日 (水) 14時39分

おぉ~出雲の人たちの言いたいこと言ってくれるんですね。
そりゃ~そんな代弁者がいれば反乱も起こさないだろうな(=^ェ^=)

投稿: ハム姉さん | 2011年1月19日 (水) 16時13分

うーん、宮司さんのその姿を見て、出雲の人たちは、無念をはらす?

投稿: ブルー・ブルー | 2011年1月19日 (水) 18時30分

 私なら、「餅が小さい、形が悪い」なんて言われたら、
 鬼の形相で「何やったら、今ここで焼くけ?」って言っちゃいますが…coldsweats01

 何人であろうと、無礼な人間には無礼で返すのはいけないんですがねぇgawk

投稿: spookee | 2011年1月19日 (水) 20時52分

これは勿論、出雲国一宮・熊野大社の方が格が上であることを示していますね。
両社の関係を伝える貴重な祭事だと思います。
熊野大社はスサノオ尊を奉り出雲国造の始祖 はアメノホヒ(天穂日命)つまりこの地ではスサノオの方が上ということではないでしょうか。

投稿: ひー | 2011年1月19日 (水) 21時41分

伊勢神宮のある三重出身ですが、我が郷里伊賀國にも大物主神を祀る神社、いくつもあるんですヨ ♪

投稿: あーさん | 2011年1月19日 (水) 22時31分

熊野大社の祭神はスサノオノミコト
朝廷の尊崇を受ける出雲大社が 膝を屈して熊野大社へ
火をつくりだす道具を受け取りにゆく…
出雲とゆうのは なんとも不思議なところだと思います

投稿: opal_tak | 2011年1月19日 (水) 22時41分

出雲シリーズ一気読みさせてもらいました。
いわく出自は・・・時間と共に

どこぞのシステムが許容能力の伝達がたかだか十年程度で忘れ去られていたのと同じように・・・とは、勿論申せませんが、

目の前の現実として無念を胸の奥にしまった方々の想いを歴史のロマンに転化して、雪チョー深い北国から拝見いたしました。

 (^_^)v。

投稿: └|∵|┐高忠┌|∵|┘ | 2011年1月20日 (木) 06時41分

桃源児さん

そういうことでしょう~ね (^^♪

これは 実際の軍事バランスを
物語るんでは ないのでしょう~か (^_-)~☆ 

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時33分

ハム姉さん

代弁というより
言わさしめる
何かが 
存在したということでしょう (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時34分

ブルー・ブルー さん

無念というより
その後ろにある~
何かが 気になります
謎~ 面白いですね (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時35分

spookee さん

そういわれても
鬼の形相にできない
ものすごいものが
後ろにあるんですよ (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時36分

ひ~さん

格がうえというよりも
そうさせる
なにかが あるということでしょう
それが なにか~
軍事バランス加茂しれません (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時38分

あ~さん

そうですね
日本全国の出雲系の神社
これが
何を意味するかは
ご想像の通りかと (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時39分

opal_tak さん

こういう神事が
行われたということ自体が
当然ながら
意味を持っているわけで
また~
ご教示ください(^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時41分

高忠さん

いまでこそ~
ロマンですが
その当時~どういう状況で
そして 今でも残ってる
これは 調べ甲斐がありますよね (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月20日 (木) 22時43分

・大元出版の本を読んでみませんか。旧出雲王国の2王家(富王家 、神門臣王家)側の情報です。

亀太夫神事の本当の事、出雲と蘇我王国、山陰の名所旧跡あたりで探ってみて下さいませ。また、下記検索ワードから検索、投稿コメントなども探検してみて下さいませ。2017.5.18現在すべて表示されます。今後のネットの検閲官の意向次第では、闇に葬られます。今のとこ検閲官AとBの内、A の方が上官である、というイメージです。
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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・神話は作り話

一昔前までは、みんな神話に騙されていましたが、数年前から旧出雲王国側の情報が世に出てからは、観光客でさえ神話そのものや神話の内容に疑問を感じる人の数が圧倒的に多くなりました。

心優しい平和主義のミナカタ様にその子孫タケミカズチが、おい国譲らんかい・・・などと言うはずはありません。(まだ生まれてな・・・)

出雲王国系の子孫タケミカズチは、昔のやさしいおじいちゃん(タケミナカタ)の事をたいへん尊敬していました。

・オオクニヌシ、コトシロヌシ、タケミナカタは紀元前220年前後を生きた人達。(8代目出雲王の時代)

国を譲るも何も、広域出雲王国が滅んだのは、四百何十年後の紀元250年頃。(17代目出雲王の時代)

国譲りのエピソードは陳腐な悪意のある作り話という事がおわかりでしょう。ちなみに、杵築大社(出雲大社)は716年正月創建。出雲国造家が、旧出雲王家に頼み込んで建造が実現した。(巨額費用のほとんどは、2王家が負担しました。)


・オオクニヌシ(= 八千矛王)は8代目西出雲王、コトシロヌシ(= 八重波津身王)は8代目東出雲王。親子というのはウソ。タケミナカタはコトシロヌシの息子。母は越の国出身の沼川姫。沼川姫とオオクニヌシが夫婦というのも真っ赤なウソ。コトシロヌシのお后だもの。

・東西王家は大祖先クナトノ大神の子孫の家。血族親戚。・・・だが、オオクニヌシとコトシロヌシは親子ではない。

・一万年前の人も、五千年前の人も、二千年前の人も、現代人と同様に剣の上に座る事など出来ませんでした。


・奈良時代に、過去の知られてはならない史実をうやむやにする目的で神話というものが考え出されました。ロマンなどではありません。(出雲王国の事と、8代目出雲王の時代に船で渡来した、徐福と秦国人渡来大集団の史実は無かった事にされた。ちなみに、徐福= ホアカリ= ニギハヤヒ= スサノオ 、です。)


出雲神話は秦国からの外来渡来勢力 出雲国造の先祖ハタヤスによって作られました。ねつ造されました。

投稿: とくちゃん | 2017年5月18日 (木) 21時36分

主に大元出版の情報による熊野大社の亀太夫神事
→旧東出雲王国滅亡(~紀元250年頃)後、東出雲王家(富家)は、現熊野大社エリアに屋敷を構え、邸内社を建てたそうです。それが発展したのが旧熊野大社だそうです。
旧と敢えて付けたのは、現在のそれは当時の面影は・・・状態だと思うからです。(祭神も国造家の推す、徐福・スサノオなどではありませんでしたし、国造家が奈良時代に旧王家に無断でねじ込んだクシミケヌ(中国の社稷の神)も関係ありませんでした。
ただし祭神は表記だけが変更されたのか、そっくり中身も変えられたのかは、私としては知るすべはありません、ここの神社に限った事ではないですが。
由緒正しい他のとある古社でも、実は大昔複数回焼き討ちされ、旧出雲王国時代はもちろん、後の物部王国時代のも残っていないとの情報を得ています。)
創建当初は、旧東出雲王家の御先祖の八重波津身王(コトシロヌシ)や古代日本の最高神 大祖先のサイノカミ三神(父クナトノ大神、母サイヒメノ命、息子サルタヒコ大神)だったそうで、宮司も東出雲王家(富家)が務めていました。
紀元前220年頃、隣国の秦国より渡来、移住して来たホヒ国造家。
以後400年以上に渡る、数えきれないほどの裏切り行為に対し、
出雲王家がホヒ国造家をしかりつける訳です。
しかし現在の神事の内容も、本来の百番の 伏拝礼が舞になり、さらに短縮されて百番が五十番に変えられました。
本来の趣旨からしたら、何一つ変更してはならないのではないでしょうか?(裏切り行為による尊い2王の死、機密情報を敵に漏洩し出雲王国滅亡へ追いやる・・・・・・・・、などの数々の裏切り行為を戒める。)
どうも現在の権力者側は、観光化に重きを置いているように思えますね。
たしかに元の百番の伏拝礼では、観光客も退屈過ぎてとか時間の都合でとかの理由で帰ってしまうかもしれません。ほとんどの観光客はこの後の亀太夫さんの苦言・文句などを目当てにしていると言っても言い過ぎではないと思います。
苦言も10数年前の時点で、もっと何十年か古い時代より、比較にならないほどや~さしい内容に変えられています。
また徐々に都合の良い様に変更されてきているようです。
本来の趣旨は、
旧出雲王家側がホヒ国造家側の数々のとんでもない裏切り行為を戒めるというものです。
ここに着眼し、こだわっている人がほとんどいない・極端に少ないというのは、大変嘆かわしい事だと思います。 
(※一般には情報操作で伏せられているので、仕方がないのかもしれません。)
※大元出版の本は旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)側の情報です。
(参)大元出版 出雲と蘇我王国 、大元出版 山陰の名所旧跡 の140・141ページに熊野大社の事が載っています。

(関連ネット検索 読者感想文 メモ)
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ネット記事内の読者のコメントを御参照下さい。

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投稿: 係長 | 2017年10月19日 (木) 05時48分

世の中出雲大社や富神社などについて、権力者側の作り上げたニセの世界に沿った情報が、たくさん流れているので(こちらのブログ上の情報がという意味ではありません)有益情報を発信されているこの場をお借りし投稿してみました。

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神話の・・・という文言が出てくる時点でアウトですね。神話・・・、神話の時代・・・、何の目的でそういうものが出来たのか?
旧出雲王家(富王家、神門臣王家)側の伝える、公式には史実から除外されている本当の事を知るべきだと思います。誤魔化し・・・、すべて無かった事に・・・。
そこで・・・・・、神話のこーりーーーん!!   ってなもんですね。
空気のような存在の神様から進化?(退化?)して、その子孫は宮司家として現在も生き続けています。・・・、んなわけあるかーーーい。

人間の大昔の先祖は神話、神様がどーとかじゃなく、やっぱり人間のじいさん、ばあさん、であるわけですよ。
大元出版という出版社から、旧出雲王国(~紀元250年頃)の王家側の伝える史実について、何冊か本が出ています。出版社直販のほか、通販のアマゾンなどでも取り扱っているようです。
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・スサノオ、オオクニヌシ、コトシロヌシなどの呼び方は、この人達が実際に日本列島の出雲王国で生きた紀元前220年前後から900年ぐらい後の奈良時代に意図的に作り出された仮名とでもいうもの。(過去のフタをしたい史実の誤魔化し目的。日本に住む人全員が誤魔化したかった訳ではなく、誤魔化したくなる理由のある人がいた。簡単に言えば権力者側に。)

・徐福(スサノオ)は紀元前219年頃船で石見の海岸に渡来。秦国(中国)方面から数千人の秦国人を伴っての事だった。
・徐福(スサノオ)の渡来の1年ほど前に、先発隊としてやって来たのが、ホヒ達だった。徐福(スサノオ)の手先、子分であった。
当時は8代目出雲王の時代だったが、その出雲王に後に頭である徐福(スサノオ)と大勢の秦国人が移住して来る事の許可願いにやって来た。

・奈良時代の716年正月に杵築大社(出雲大社)は創建。
国造家から旧出雲王家側に申し入れた話だから、自分達が知らないはずがない。
なのにホームページでは作り話の神話に沿った、史実とは全く違う事が神社創建の由緒として挙げられています。(詳細は大元出版の本に。大宝律令制定絡みの失業対策で神社を経営しよう~、と国造家がひらめいた件。創建前の旧出雲王家との約束の一つ、主祭神を勝手に変更しない、を最低でも守っていればそう大きな問題でもなかろうが、創建時以降の権力の移り変わりによって、ある時期からは本殿の扉の鍵を自由に扱える人間の良識にのみ委ねられているのが近代の問題点。かつては名実共に本殿の所有者であった、出雲王国旧2王家の一方の雄 神門臣家系の社家により、本殿の扉は厳格に管理されていた。またもう一方の雄 富家も社頭として采配を振るっていた。巨額費用のほとんど全額を負担したのは、旧出雲王国の東西2王家だったのだから、国造家も従うしかなかった。が、近年はそれこそパワスポかばのように、皮膚感覚で主祭神を感じ取るしかない状態。)

・杵築大社(出雲大社)創建時の主祭神は八千矛王(8代目出雲王の本名、個人名)で、これを大国主という良い名前で祀るようにと、中央政府の右大臣藤原不比等から国造家へ指示があった。

(実在の八千矛王が約900年経って、大国主という名で表現された。それまで世の中に大国主という表現はなかった。大国主という表現と同様に、渡来人 徐福の事もスサノオと表現された。それまで出雲人はスサノオという表現などしていなかった。

これには当時の対外公的な事情もあり、
出雲王国(~紀元250年頃)という日本で最初の国家の存在や歴代出雲王、
出雲王やインドドラビダ出雲族の大祖先 幸の神三神(父 クナトノ大神、
母 サビメ大神=幸姫命、息子 サルタ彦大神)の存在史実を丸ごと無かった事にし、また
8代目出雲王(八千矛王)の時代に船で秦国から移住して来た 徐福と秦国人渡来
大集団 の存在史実も丸ごと無かった事にする、・・・という当時の中央政府の方針が決められた為。徐福集団の中に、出雲国造先祖のホヒ達も含まれている。直近の出目は秦国。)

しかし現在世の中で言われている大国主は、その多くが徐福(スサノオ)にすり替えられているようである。確かに徐福と秦国人渡来集団は、当時の中国大陸方面の最新の文化を持ち込み、出雲王国は発展をしていった側面もある。((ただし単純には喜んでばかりもいられない。理由(出雲王国史上前代未聞の大事件 ホヒ事件・徐福事件)は大元出版の本でどうぞ。))

先祖時代の頭である徐福(スサノオ)を大国主としたいと、手下、子分の家の者が思うのは当然の流れではある。(国造家が時間をかけて、旧出雲王家側の正当な権力を奪い取って行き、その力関係が逆転したからこそ、そのような事も実現出来た。出雲熊野大社の亀太夫の神事に元々の力関係が表現されています。亀太夫は旧出雲王国の王族連合を表現しているそうです。この王族連合の事を財筋・タカラスジと呼ぶそうです。
なぜ出雲国造が王族連合 財筋・タカラスジ からこっぴどく怒られるかと言うと、出雲王国史上の大事件の最初と最後を例に挙げると、紀元 前210年代のホヒ タケヒナドリ(イナセハギ)・徐福事件、そして紀元250年頃の出雲王国の敗戦に絡むカラヒサ ウカツクヌ事件に関係があります。これらの詳細については、出雲と大和のあけぼの、出雲と蘇我王国、親魏和王の都、古事記の編集室 が参考になると思われます。

実際に出雲熊野大社で行われている亀太夫神事の亀太夫の苦言は、少なくともここ20年程は柔らかい苦言になっています。が、昭和の先代亀太夫さんまでは、出雲国造は隠されている本当の歴史背景に絡み こっぴどく罵倒されていたそうです。本来の趣旨からすれば、苦言もこのようであるべきですし、舞も実は舞ではなく元の大変きつい伏拝礼、実際の番数も50番ではなく100番というのが正です。神事というのは大昔の何かを表現しているので、本来は変更すべきではないものだと言えるのではないでしょうか。亀太夫神事に関しては、それだけきつい事をやらされる明確な理由があった訳ですから。詳しい事は、出雲と蘇我王国 も参考になるかもしれません。

・オオクニヌシ:8代目出雲王(主王)の八千矛王(西出雲王家)の事。
・コトシロヌシ:8代目出雲王(副王)の八重波津身王(東出雲王家)の事。

・神話(作り話)に合わせた、オオクニヌシの長男コトシロヌシ次男タケミナカタというのは、真っ赤なウソ。

両王とも大祖先クナトノ大神の子孫で、タケミナカタは東出雲王のコトシロヌシの息子。母は越の国出身の沼川姫。大国主と沼川姫をペアリングした話があるが、これもオオウソ。史実は沼川姫はコトシロヌシのお后。

また、タケミナカタが戦いを挑んで負け、諏訪へ逃げたという話が作られたが、もちろん真っ赤っかなオオウソです。母の里越方面へ紀元前210年代に移住し、後に諏訪方面へ移住発展させたのが史実。この時出雲王国は滅んでなどいなかった。滅んだのはタケミナカタの時代から400年程後の、紀元250年頃。
出雲の国譲り神話も、意図的に出雲王国側の事を悪く、弱く表現したに過ぎぬ作り話だったという事です。
まっちゃんや浜ちゃんでなくても、何を言うとんねんと突っ込みを入れたくなるほどのオオウソですね。
これが千何百年続いて来たのですから、言われた方はたまったものではありませんね。神話の名のもとに行われて来た、究極の差別です!!!

この一例をとっても、神話(作り話)はろくなものではありませんね。

先祖が作った悪意のある作り話を、子孫は本来訂正すべきと思います。
乗っかってどうすんねん・・・、そういう事です。

(数年間ネット上の上位ページにあった投稿先の某記事本文は、この投稿後速攻で削除されネット上から消え去りました。)

投稿: コメント採用zero | 2017年11月 8日 (水) 04時53分

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