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2011年1月20日 (木)

亀太夫神事Ⅱ 

 

亀太夫神事 どう思われましたでしょうか? 

 

この神事の行われる 熊野大社ですが 

出雲人の認識では~

熊野大社というのは 出雲大社の元宮であって

時の権力者によって 出雲大社に祭祀権を移された

出雲大社より 格の高い大社です 

  

火の発祥の神社として

「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、

出雲大社と共に出雲国一宮である。

紀伊国の熊野三山も有名だが、

熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、

全くの別系統とする説がある。

社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに

分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。

『出雲国風土記』には熊野大社と記されていた。 

  

出雲大社を祭ったのはだれでしょう? 

祟りを恐れて祭ったのでしょうか

   

   

P1020459   

 

 

 

その大和朝廷も 幾多の権力抗争で

いろいろ変遷しているらしいし 

出雲系の時代もあったようです 

出雲大社の国造家も 

当然権力の変遷と共に

入れ替わってるという事も想像できます 

そうした流れの中から

こういう あり得ない神事が生まれ 

こんにちまで残っている !? 

圧倒的な力関係ですから

やめようと思えばできたはずなのに伝承されてきた 

ほんに 出雲は不思議なところです  (^_-)~☆

  

   

   

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コメント

出雲大社はやはり大和族が作ったものでしょうね。
出雲の神を封じ込めるのが目的だったのでしょう。
地元の人々は本当の神は熊野に居ると密かに伝えてきたのかもしれません。

投稿: 桃源児 | 2011年1月20日 (木) 15時35分

出雲大社を祀った人って謎?

投稿: ブルー・ブルー | 2011年1月20日 (木) 21時39分

真実は隠されていて~
なが~い時の経過の後に
解明される日を待っている?
出雲の謎解きは命がけ?

>やめようと思えばできたはずなのに伝承されてきた 
>ほんに 出雲は不思議なところです  (^_-)~☆

い~さんならではの
すごい言葉と思います   think

投稿: ま~さん | 2011年1月20日 (木) 21時43分

去年、大社も国造家もじかに見て来ただけに、謎の深さが、一層迫ってきます。

投稿: あーさん | 2011年1月20日 (木) 23時57分

桃源児 さん

大和族というより
天孫族ですね

雲太と呼ばれる
巨大な社殿を作らせたのは~
出雲の潜在力? (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月21日 (金) 22時42分

ブルー・ブルーさん

そう~
謎~ですよね
やはり~天孫族でしょう
たしか
本殿の大国主の部屋には 
天皇と宮司しかは入れなかったとおもいます

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月21日 (金) 22時44分

ま~さん

だんだん~
外堀が埋まって
霧が晴れるように 真実が自明に
いろんなものが
発見されて そうなる日は近い加茂 (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月21日 (金) 22時47分

あ~さん

いろんなことを
知った上で 観ると
また 違った風にみえますね (^_-)~☆

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月21日 (金) 22時48分

テレビで見ましたが、その昔は社殿がもっと高かったのでは?と云ってました。
三内丸山遺跡にも高い建造物があります。
かかわりがあるかどうかは、まだわかりませんが暖かくなったら、行ってみます。何度も行っているのですが、仕事だったので中に入っていませんでした。

いや~、いーさんが出雲のことを書いてくれて嬉しいです。
私の役目は終りました。

投稿: ひー | 2011年1月21日 (金) 23時02分

ひ~さん

平安時代の書物『口遊』に、「雲太、和二、京三【謂大屋誦】。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省」と言う記述がある。これは当時の大建築の順位を表したのだという。
 1位は出雲大社。
 2位は東大寺。
 3位は京都御所、大極殿。
  「雲太」と言う名称はここから出た。
 出雲大社の口伝では、上古32丈、中古16丈、その後8丈という。1丈は3.0303m。

つまり100m近くあったということです
写真のような感じです
この写真は 古代出雲歴史博物館内の展示です
( 了解をえて 撮っています)

投稿: 維真尽(^^) | 2011年1月21日 (金) 23時15分

(私はこちらのブログの他の記事はまだ読んでいませんので、内容から外れるかもしれませんが、)

大元出版の本を読んでみませんか?(複数冊色々出ています。)
・・・・・、でないとお話にならないと思います。
一般に出てくる多くの話は、権力者側が自分達の都合の良いように考えた 作り話 ですからね~。

大元出版の本は、旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)側の情報です。大手通販アマゾンで、大元出版と検索してみて下さいませ。

・出雲大社本殿の八雲の図が7つの雲 → 化けの皮が剝がれます(仕組んだのは・・・)

・由緒正しい神魂神社創建等に関する 本当の 由緒 → 化けの皮が剥がれます(仕組んだのは・・・)

・熊野大社 亀太夫神事 → 亀太夫って何の例え? なぜ国造が怒られる?その語られていない本当の意味は?(怒られる方からしたらそりゃあフタをしたくなりますね。自業自得ですが。)   ・・・など数々のほんとのホントがみえてくる

・現存の有名神社は、権力者側によって色々と変えられてしまったところがある → わかる・・・かも、ですね

・出雲王国の事、徐福(スサノオ)と秦国人渡来大集団の事は、公式には史実から抹消扱いが続いている。


大元出版の
出雲と蘇我王国 出雲と大和のあけぼの 古事記の編集室 お伽話とモデル 親魏和王の都 サルタヒコ大神と竜
あたり、いかがでしょう。

いろいろ聞いても、よく分からない・昔からの伝統・・・などなどはぐらかされるのは、知られちゃ困るだったり、知られちゃ困る事までたどり着かれるかも・・というのが理由。こういうケースがたくさんあります。
現出雲大社?最も知られちゃ困る人達が~

出雲大社創建時期はホームページでは、はぐらかしてあります。知られちゃ困るからです。創建は716年正月。

莫大な資金と人材を投入して神社を創建したのは、旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)で、秦国からの渡来系ホヒ国造家も関わっています。(大元出版 古事記の編集室をどうぞ)
尚現在は旧王家とは無関係の神社となっているそうです。

突然失礼しました~。

投稿: とく | 2017年4月 5日 (水) 02時47分

主に大元出版の情報による熊野大社の亀太夫神事
→旧東出雲王国滅亡(~紀元250年頃)後、東出雲王家(富家)は、現熊野大社エリアに屋敷を構え、邸内社を建てたそうです。それが発展したのが旧熊野大社だそうです。
旧と敢えて付けたのは、現在のそれは当時の面影は・・・状態だと思うからです。(祭神も国造家の推す、徐福・スサノオなどではありませんでしたし、国造家が奈良時代に旧王家に無断でねじ込んだクシミケヌ(中国の社稷の神)も関係ありませんでした。
ただし祭神は表記だけが変更されたのか、そっくり中身も変えられたのかは、私としては知るすべはありません、ここの神社に限った事ではないですが。
由緒正しい他のとある古社でも、実は大昔複数回焼き討ちされ、旧出雲王国時代はもちろん、後の物部王国時代のも残っていないとの情報を得ています。)
創建当初は、旧東出雲王家の御先祖の八重波津身王(コトシロヌシ)や古代日本の最高神 大祖先のサイノカミ三神(父クナトノ大神、母サイヒメノ命、息子サルタヒコ大神)だったそうで、宮司も東出雲王家(富家)が務めていました。
紀元前220年頃、隣国の秦国より渡来、移住して来たホヒ国造家。
以後400年以上に渡る、数えきれないほどの裏切り行為に対し、
出雲王家がホヒ国造家をしかりつける訳です。
しかし現在の神事の内容も、本来の百番の 伏拝礼が舞になり、さらに短縮されて百番が五十番に変えられました。
本来の趣旨からしたら、何一つ変更してはならないのではないでしょうか?(裏切り行為による尊い2王の死、機密情報を敵に漏洩し出雲王国滅亡へ追いやる・・・・・・・・、などの数々の裏切り行為を戒める。)
どうも現在の権力者側は、観光化に重きを置いているように思えますね。
たしかに元の百番の伏拝礼では、観光客も退屈過ぎてとか時間の都合でとかの理由で帰ってしまうかもしれません。ほとんどの観光客はこの後の亀太夫さんの苦言・文句などを目当てにしていると言っても言い過ぎではないと思います。
苦言も10数年前の時点で、もっと何十年か古い時代より、比較にならないほどや~さしい内容に変えられています。
また徐々に都合の良い様に変更されてきているようです。
本来の趣旨は、
旧出雲王家側がホヒ国造家側の数々のとんでもない裏切り行為を戒めるというものです。
ここに着眼し、こだわっている人がほとんどいない・極端に少ないというのは、大変嘆かわしい事だと思います。 
(※一般には情報操作で伏せられているので、仕方がないのかもしれません。)
※大元出版の本は旧出雲王国の2王家(富王家、神門臣王家)側の情報です。
(参)大元出版 出雲と蘇我王国 、大元出版 山陰の名所旧跡 の140・141ページに熊野大社の事が載っています。

投稿: 係長 | 2017年8月 1日 (火) 06時03分

世の中出雲大社や富神社などについて、権力者側の作り上げたニセの世界に沿った情報が、たくさん流れているので(こちらのブログ上の情報がという意味ではありません)有益情報を発信されているこの場をお借りし投稿してみました。

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神話の・・・という文言が出てくる時点でアウトですね。神話・・・、神話の時代・・・、何の目的でそういうものが出来たのか?
旧出雲王家(富王家、神門臣王家)側の伝える、公式には史実から除外されている本当の事を知るべきだと思います。誤魔化し・・・、すべて無かった事に・・・。
そこで・・・・・、神話のこーりーーーん!!   ってなもんですね。
空気のような存在の神様から進化?(退化?)して、その子孫は宮司家として現在も生き続けています。・・・、んなわけあるかーーーい。

人間の大昔の先祖は神話、神様がどーとかじゃなく、やっぱり人間のじいさん、ばあさん、であるわけですよ。
大元出版という出版社から、旧出雲王国(~紀元250年頃)の王家側の伝える史実について、何冊か本が出ています。出版社直販のほか、通販のアマゾンなどでも取り扱っているようです。
(大元出版の著書)
古事記の編集室 、出雲と蘇我王国 、山陰の名所旧跡 、幸の神と竜 、サルタヒコ大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、出雲と大和のあけぼの 、親魏和王の都 、お伽話とモデル 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。
(関連読者感想文ネット検索ワードメモ)
→私の先祖はスサノオ← 、八雲の図 、八雲之図 、神魂神社 穴 、亀太夫神事 神話の里 、熊野大社 56 、熊野大社 うんせき 、出雲大社本殿 うんせき 、津久井の諏訪の神 、大社を乗っ取った 、出雲大社よりも偉い 、古代出雲の秘密9 、出雲の龍蛇神に会いに行く2 、富神社の謎 、アマゾン 大元出版 、アマゾン 大元出版 レビュー
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・スサノオ、オオクニヌシ、コトシロヌシなどの呼び方は、この人達が実際に日本列島の出雲王国で生きた紀元前220年前後から900年ぐらい後の奈良時代に意図的に作り出された仮名とでもいうもの。(過去のフタをしたい史実の誤魔化し目的。日本に住む人全員が誤魔化したかった訳ではなく、誤魔化したくなる理由のある人がいた。簡単に言えば権力者側に。)

・徐福(スサノオ)は紀元前219年頃船で石見の海岸に渡来。秦国(中国)方面から数千人の秦国人を伴っての事だった。
・徐福(スサノオ)の渡来の1年ほど前に、先発隊としてやって来たのが、ホヒ達だった。徐福(スサノオ)の手先、子分であった。
当時は8代目出雲王の時代だったが、その出雲王に後に頭である徐福(スサノオ)と大勢の秦国人が移住して来る事の許可願いにやって来た。

・奈良時代の716年正月に杵築大社(出雲大社)は創建。
国造家から旧出雲王家側に申し入れた話だから、自分達が知らないはずがない。
なのにホームページでは作り話の神話に沿った、史実とは全く違う事が神社創建の由緒として挙げられています。(詳細は大元出版の本に。大宝律令制定絡みの失業対策で神社を経営しよう~、と国造家がひらめいた件。創建前の旧出雲王家との約束の一つ、主祭神を勝手に変更しない、を最低でも守っていればそう大きな問題でもなかろうが、創建時以降の権力の移り変わりによって、ある時期からは本殿の扉の鍵を自由に扱える人間の良識にのみ委ねられているのが近代の問題点。かつては名実共に本殿の所有者であった、出雲王国旧2王家の一方の雄 神門臣家系の社家により、本殿の扉は厳格に管理されていた。またもう一方の雄 富家も社頭として采配を振るっていた。巨額費用のほとんど全額を負担したのは、旧出雲王国の東西2王家だったのだから、国造家も従うしかなかった。が、近年はそれこそパワスポかばのように、皮膚感覚で主祭神を感じ取るしかない状態。)

・杵築大社(出雲大社)創建時の主祭神は八千矛王(8代目出雲王の本名、個人名)で、これを大国主という良い名前で祀るようにと、中央政府の右大臣藤原不比等から国造家へ指示があった。

(実在の八千矛王が約900年経って、大国主という名で表現された。それまで世の中に大国主という表現はなかった。大国主という表現と同様に、渡来人 徐福の事もスサノオと表現された。それまで出雲人はスサノオという表現などしていなかった。

これには当時の対外公的な事情もあり、
出雲王国(~紀元250年頃)という日本で最初の国家の存在や歴代出雲王、
出雲王やインドドラビダ出雲族の大祖先 幸の神三神(父 クナトノ大神、
母 サビメ大神=幸姫命、息子 サルタ彦大神)の存在史実を丸ごと無かった事にし、また
8代目出雲王(八千矛王)の時代に船で秦国から移住して来た 徐福と秦国人渡来
大集団 の存在史実も丸ごと無かった事にする、・・・という当時の中央政府の方針が決められた為。徐福集団の中に、出雲国造先祖のホヒ達も含まれている。直近の出目は秦国。)

しかし現在世の中で言われている大国主は、その多くが徐福(スサノオ)にすり替えられているようである。確かに徐福と秦国人渡来集団は、当時の中国大陸方面の最新の文化を持ち込み、出雲王国は発展をしていった側面もある。((ただし単純には喜んでばかりもいられない。理由(出雲王国史上前代未聞の大事件 ホヒ事件・徐福事件)は大元出版の本でどうぞ。))

先祖時代の頭である徐福(スサノオ)を大国主としたいと、手下、子分の家の者が思うのは当然の流れではある。(国造家が時間をかけて、旧出雲王家側の正当な権力を奪い取って行き、その力関係が逆転したからこそ、そのような事も実現出来た。出雲熊野大社の亀太夫の神事に元々の力関係が表現されています。亀太夫は旧出雲王国の王族連合を表現しているそうです。この王族連合の事を財筋・タカラスジと呼ぶそうです。
なぜ出雲国造が王族連合 財筋・タカラスジ からこっぴどく怒られるかと言うと、出雲王国史上の大事件の最初と最後を例に挙げると、紀元 前210年代のホヒ タケヒナドリ(イナセハギ)・徐福事件、そして紀元250年頃の出雲王国の敗戦に絡むカラヒサ ウカツクヌ事件に関係があります。これらの詳細については、出雲と大和のあけぼの、出雲と蘇我王国、親魏和王の都、古事記の編集室 が参考になると思われます。

実際に出雲熊野大社で行われている亀太夫神事の亀太夫の苦言は、少なくともここ20年程は柔らかい苦言になっています。が、昭和の先代亀太夫さんまでは、出雲国造は隠されている本当の歴史背景に絡み こっぴどく罵倒されていたそうです。本来の趣旨からすれば、苦言もこのようであるべきですし、舞も実は舞ではなく元の大変きつい伏拝礼、実際の番数も50番ではなく100番というのが正です。神事というのは大昔の何かを表現しているので、本来は変更すべきではないものだと言えるのではないでしょうか。亀太夫神事に関しては、それだけきつい事をやらされる明確な理由があった訳ですから。詳しい事は、出雲と蘇我王国 も参考になるかもしれません。

・オオクニヌシ:8代目出雲王(主王)の八千矛王(西出雲王家)の事。
・コトシロヌシ:8代目出雲王(副王)の八重波津身王(東出雲王家)の事。

・神話(作り話)に合わせた、オオクニヌシの長男コトシロヌシ次男タケミナカタというのは、真っ赤なウソ。

両王とも大祖先クナトノ大神の子孫で、タケミナカタは東出雲王のコトシロヌシの息子。母は越の国出身の沼川姫。大国主と沼川姫をペアリングした話があるが、これもオオウソ。史実は沼川姫はコトシロヌシのお后。

また、タケミナカタが戦いを挑んで負け、諏訪へ逃げたという話が作られたが、もちろん真っ赤っかなオオウソです。母の里越方面へ紀元前210年代に移住し、後に諏訪方面へ移住発展させたのが史実。この時出雲王国は滅んでなどいなかった。滅んだのはタケミナカタの時代から400年程後の、紀元250年頃。
出雲の国譲り神話も、意図的に出雲王国側の事を悪く、弱く表現したに過ぎぬ作り話だったという事です。
まっちゃんや浜ちゃんでなくても、何を言うとんねんと突っ込みを入れたくなるほどのオオウソですね。
これが千何百年続いて来たのですから、言われた方はたまったものではありませんね。神話の名のもとに行われて来た、究極の差別です!!!

この一例をとっても、神話(作り話)はろくなものではありませんね。

先祖が作った悪意のある作り話を、子孫は本来訂正すべきと思います。
乗っかってどうすんねん・・・、そういう事です。

(数年間ネット上の上位ページにあった投稿先の某記事本文は、この投稿後速攻で削除されネット上から消え去りました。)

投稿: コメント採用zero | 2017年11月 8日 (水) 04時59分

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